関ジャニ∞のメンバーである横山裕さん。
そんな人気アイドル横山裕さんの生い立ちですが、弟の学費を負担するために工事現場で働いていたという感動的なエピソードが話題になっていますよね。
また横山裕さんは、母親の急死により29歳という若さで2人の弟の父親代わりとなり、壮絶な苦労を重ねてきたという噂もありますが、本当でしょうか?
そこで今回のこの記事では、
- 横山裕の生い立ちと家族構成
- 横山裕がジャニーズ時代に工事現場で働いた理由と苦労エピソード
- 横山裕と2人の弟の現在の関係性
主にこの3つに迫っていきます。
リサーチしてみたら、横山裕さんの家族愛と責任感の強さに涙が止まらない秘話が満載だったので、ぜひ最後まで読んでいってください!
それでは、早速本題に入っていきましょう!
横山裕の生い立ちと家族構成

関ジャニ∞のメンバーとして活躍する横山裕さん。
そんな横山裕さんですが、どのような家族構成で、どんな生い立ちを歩んできたのでしょうか?
横山裕さんの家族構成は、母親と6歳下・8歳下の異父弟2人という3人兄弟です。
横山裕さんの複雑な家庭環境について、詳しく見ていきましょう。
幼少期の複雑な家庭環境
横山裕さんは幼少期に両親の離婚を経験し、その後母親が再婚されています。
幼い頃に両親の離婚や再婚を経験し、シングルマザーだった母親が病気に。横山は工事現場で働きながら2人の弟の面倒を見たが「弟は養護施設に行くしかなかった」と明かした。
出典:Yahoo!ニュース
母親の再婚により、横山裕さんには6歳下の次男と、8歳下の三男という2人の弟ができました。
横山裕さん自身は祖父母のもとで育ち、小学5年生まで母親や弟たちとは別々に暮らしていたとされています。
母親の急死と家族の試練
しかし、横山裕さんが29歳の時に母親が急死されたことで、状況は一変します。
母親を失った衝撃で次男は記憶喪失になり、三男も含めて2人の弟は一時的に児童養護施設に預けられることになりました。
この時から横山裕さんは、芸能活動をしながら2人の弟の父親代わりとして支えていくことになったのです。
現在は次男が結婚され、三男は税理士として活躍しているという情報もありますが、大手メディアなどの信頼性の高い情報源からは確認が取れませんでした。
横山裕さんの生い立ちは決して平坦ではありませんでしたが、家族の絆で困難を乗り越えてきた感動的なストーリーと言えるでしょう。
横山裕がジャニーズ時代に工事現場で働いた理由と苦労エピソード

ジャニーズのアイドルでありながら工事現場で働いていたという横山裕さん。
そんな横山裕さんですが、なぜ芸能活動と並行して肉体労働をしていたのでしょうか?
横山裕さんが工事現場で働いた理由は、母親と2人の弟を養うためでした。
家計を支えるための決断
横山裕さんは中学卒業後に進学せず、建設会社で働きながら芸能活動を続けていました。
母親がシングルマザーで経済的に厳しい状況だったため、家計を支える必要があったのです。
横山は3歳で両親が離婚し、ついていった母が再婚。その再婚相手について「テレビで初めて言いますけど、それが『横山さん』という方だった」と、義父の名字が現在の名字になったと明かす。
母と義父の関係について「初めは幸せだったかもしれないですけど、オカンはよく泣いていた。(義父を)悪くは言いたくないけど、怒号が聞こえたときもあった」と振り返る。母は仕事を掛け持ちして働き、横山も2人の弟を養うため、中学卒業後、建設会社で働いた。
だが、その頃に「オカンがガンになって横山のおっさんと離婚した。『弟は誰が(面倒を)見る?』ってなって、とりあえず施設に入るって。弟もつらそうだった」と次々と試練に見舞われた。
横山裕さんは10代の頃から家族の大黒柱として責任を背負い続けていました。
過酷な二重生活の苦労
建設現場での仕事は体力的にも精神的にも過酷で、芸能活動との両立は想像を絶する苦労があったでしょう。
朝早くから現場で働き、夜は関ジャニ∞の活動やレッスンに参加するという二重生活を送っていました。
手に豆を作りながらも、家族のために歯を食いしばって働き続けたのです。
特に母親の急死後は、2人の弟の父親代わりとしてより一層の責任を感じていたと思われます。
工事現場での経験は横山裕さんの人間性を形成し、現在の優しさや責任感の強さにつながっているのでしょう。
横山裕さんの工事現場での苦労は、家族愛の深さを物語る感動的なエピソードです。
アイドルという華やかな世界にいながらも、家族を支えるために汗を流し続けた横山裕さんの姿勢は多くの人に感動を与えています。
横山裕と2人の弟の現在の関係性

壮絶な生い立ちを共に乗り越えてきた横山裕さんと2人の弟たち。
そんな横山裕さんと弟たちですが、現在はどのような関係を築いているのでしょうか?
横山裕さんと2人の弟は現在、それぞれが自立した素晴らしい関係性を築いています。
弟たちの見事な成長
次男は結婚され、三男は税理士として活躍しているという情報もありますが、詳細については大手メディアなどの信頼性の高い情報源からは確認が取れませんでした。
母親の急死という困難を乗り越えた3兄弟の絆は、今でも深く結ばれています。
29歳の時、おかんが買い物中に倒れて亡くなりました。50歳でした。一番気丈に振る舞っていた次男が葬儀の2週間後に倒れ、「病院の先生が、おかんが死んだって意味わからんこと言っている」と言い始めました。おかんの死のショックで記憶が飛んでしまったみたいでした。
次男は徐々に元に戻り、出会いを見つけ、その後、結婚。三男は向上心が芽生え、税理士という目標ができて夢をかなえました。2人の道が開けて本当に安心しました。
ジャニーズ事務所に入ってからのことを振り返ると、後輩も含めて年齢の近い仲間がどんどんデビューしていきました。自分はいつデビューできるかわからないという焦りや苦しさはありましたが、「周りがわかってないだけや」という変な自信もあり、目の前のことをやるしかないと思っていました。
出典:読売新聞
記憶喪失からの回復と結婚
記憶喪失になった次男は、横山裕さんの支えもあり徐々に回復していきました。
次男はショックで記憶喪失になり、母が亡くなったことも忘れてしまうほどだったという。そんな弟のことを心配し、横山も時間があれば関西に戻り、兄弟と過ごし、記憶戻ることを信じて昔行った旅行先に連れて行ったりした。
出典:スポニチ
その後素敵な出会いがあり、結婚という人生の大きな節目を迎えることができたのです。
弟の結婚式での感動エピソード
弟の結婚式では、横山裕さんが三男と一緒にサプライズ演奏を行ったという心温まるエピソードがあります。
横山裕さんがトランペットで福山雅治さんの「家族になろうよ」を演奏し、弟夫婦に披露したそうです。
横山裕さんにとって、2人の弟が自立できたことは何よりの喜びでしょう。
父親代わりとして重い責任を背負い続けてきた横山裕さんですが、現在は肩の荷が下りた状態です。
3兄弟が築いた絆は、困難を乗り越えたからこそより一層深いものになっており、現在も良好な関係が続いています。
まとめ
今回は、横山裕さんが弟の学費を負担した生い立ちや、工事現場で働いた感動秘話についてお伝えしてきました。
- 家族構成: 6歳下・8歳下の異父弟2人との3人兄弟
- 工事現場勤務: 中学卒業後、家計を支えるため建設会社で勤務
- 母親の急死: 29歳で2人の弟の父親代わりになる
- 弟の記憶喪失: 次男が母親の死のショックで記憶喪失に
- 現在の関係: 次男は結婚、三男は自立し良好な兄弟関係を維持
- 家族愛: アイドル活動と肉体労働を両立した責任感の強さ
困難を乗り越えた横山裕さんと弟たちの今後のご活躍を応援していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!
コメント