最近ではテレビで見ない日はないほど人気の芸人・やす子さん。
その明るいキャラクターの裏には、壮絶な生い立ちと、逆境を跳ね返してきた強さがあります。
小学校時代の極貧生活、ネグレクト、いじめ、児童養護施設での孤独――そして自衛隊入隊から芸人デビュー、ブレイクまで。
やす子さんの、まさにドラマのような波乱万丈の人生は多くの人が気になるのではないでしょうか。
という事で今回は、
- やすこの生い立ちがヤバい!小学校時代の壮絶エピソード
- ネグレクトでもくじけなかった思春期と児童養護施設での生活
- 自衛隊入隊から芸人デビュー、ブレイクまでの道のり
について調査したいと思います。
では、早速いってみよう!
やすこの生い立ちがヤバい!小学校時代の壮絶エピソード

やす子さん(本名:安井かのんさん)は1998年9月2日、山口県宇部市に生まれました。
2歳の時に両親が離婚し、母子家庭で育ちます。
母親は昼夜問わず働いていましたが、生活は極めて苦しく、家賃も払えないほどの極貧状態。
やす子さんと5歳下の妹さんは、ボロボロに破れた服を着て、何日もお風呂に入れない日々が続き学校では「くさい」と言われてからかわれることもあったそうです。
小学校時代は、給食が唯一の栄養源。
夏休みや冬休みにはパンの耳を買って妹と分け合い、友達の家の水道で服を洗わせてもらうこともありました。
また、学校では「貧乏」「くさい」といじめを受け、3年間トイレでお弁当を食べる「便所メシ」を経験しています。
この時期、生活の苦しさと孤独が重なり、「人生をやめてしまいたい」と思うほど追い詰められたこともあったと語っています。
やす子さんの小学生時代のエピソードは、現代日本でもここまで過酷な生活を強いられる子どもがいるのかと驚かされます。
どんなに辛い状況でも妹さんを思いやり、工夫して毎日を生き抜いた姿には胸を打たれますね。
ネグレクトでもくじけなかった思春期と児童養護施設での生活

やす子さんの思春期は、母親のネグレクトや家庭の極度な困窮、孤独、いじめといった苦難が重なり、非常に過酷なものでした。
ネグレクトの原因
やす子さんの思春期もまた、壮絶でした。
中学時代には母親との関係がさらに悪化し、ネグレクト(育児放棄)が深刻化。
やす子さんの母親は離婚後に再婚しており、新しい父親との生活に夢中だった時期もあったとされています。
家庭内でやす子さんが冷遇されていた可能性も指摘されていますが、妹さんも同様に食事が与えられていなかったため、家庭全体が困窮していたことが根本的な要因と考えられます
児童養護施設での生活
また、家に帰っても誰もいない、頼れる大人もいない孤独な日々が続きます。
そんな中、やす子さんは自ら児童養護施設に保護を求めて入所。
施設では初めて「毎日三食食べられる幸せ」を実感したそうです。
しかし、先生が施設から学校に連絡があったことを生徒の前で暴露したことで、施設で暮らしていることが学校に知られさらに周囲から距離を置かれるようになり、いじめや孤立が深刻化しました。
保健室登校が続き、母親とは16歳から22歳まで疎遠になりました。
高校時代も経済的に困窮し、学費も払えない状況。
友達からは仲間外れにされ、図書館やトイレで一人過ごすことが多かったといいます。
クラスメートや周囲の生徒たちがやす子さんを避けるようになり、話しかけても返事をしてもらえない、グループに入れてもらえないといった状況が続きました。
ネグレクトや孤立、いじめ――やす子さんの思春期は、想像を絶する苦難の連続です。
それでも自ら助けを求め、施設での生活を選んだ勇気と、どんな逆境でも前向きさを失わなかった心の強さは本当に尊敬に値します。
自衛隊入隊から芸人デビュー、ブレイクまでの道のり

やすこさんは、高校卒業後、安定した生活を求めて自衛隊に入隊。
2年の任務満了後、除隊し友人の頼みで偶然ピン芸人として舞台に立ったことがきっかけで芸人の道へ進み、元自衛官という異色の経歴を活かしたネタで一気にブレイクしました。
1.高校卒業から自衛隊入隊
高校卒業後、家庭が貧しく大学進学は断念。
やす子さんは「住み込みで働ける場所」を探していましたが、地元山口県でパチンコ店の面接を受けるも、緊張で失敗し断念。
その後、高校の柔道部顧問に勧められ、安定した生活を求めて陸上自衛隊に入隊します。
自衛隊では、真夏の40度を超える中、総重量20キロの荷物を背負って40キロ歩くなど、過酷な訓練を経験。
2年間の勤務で陸士長に昇進し、工兵として道路や建物の建設、爆破作業などに従事しました。
この経験が、やす子さんの精神力と体力を鍛え、人生の大きな転機となりました。
2.自衛隊除隊から芸人デビュー
やす子さんが自衛隊を辞めて急に芸人を目指した理由は、「友人からの頼み」がきっかけでした。
自衛隊を2年間で任期満了退職した後、清掃員や中学校の用務員として働いていたやす子さんですが、ある日、友人から「芸人になりたいけど勇気が出ないので、一度一緒に漫才をやってほしい」と頼まれました。
やす子さん自身はもともと芸人志望ではなく、友人のためにネタを書き、漫才の練習をしました。
しかし、もともとコンビを組む予定だったその友人が当日になって来られなくなり、やす子さんはほぼ怒りの気持ちで急遽一人でネタを披露しました。
これが観客投票で2位となり、ピン芸人としての道が開けました。
また、やす子さんは「自衛隊を辞めた理由」について「勘だったんですよ。“やーめよ”くらいの」と語っており、深刻な理由や計画があったわけではなく、直感的な決断だったことも明かしています。
ブレイクまでの道のり
元自衛官という異色の経歴を活かし、2021年「ぐるナイおもしろ荘」で「5段階ほふく前進」などの「自衛隊ネタ」を披露し、3位に入賞。
一気にブレイクしました。
2023年には「ブレイク芸人ランキング」で1位を獲得し、テレビやCM、バラエティ番組で引っ張りだこに。
2024年からは「ぐるぐるナインティナイン」のレギュラーにも抜擢されました。
やす子さんのブレイクは、苦しい過去を自分の武器に変えたからこそ。
自衛隊仕込みの根性と明るさ、そして人を思いやる優しさが、唯一無二の芸人としての魅力を生み出しています。
まとめ
今回は、やす子さんの壮絶な生い立ちから芸人としてのブレイクまでを調査しました。
- 小学校時代は極貧生活、破れた服やお風呂に入れない日々、いじめや孤独を経験
- 思春期にはネグレクトや児童養護施設での生活、交通事故やさらなるいじめも
- 自衛隊入隊で人生が転機に、除隊後は芸人デビューし自衛隊ネタで「おもしろ荘」3位でブレイク
やす子さんの逆境を乗り越える強さと、どんな時も人を思いやる優しさは本当に素晴らしいです。今後も彼女の活躍から目が離せません!
それでは、ありがとうございました。
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